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大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)2304号 判決 1963年5月10日

原告

山田秀雄外一名

被告

西濃運輸株式会社外一名

主文

被告等は各自原告山田秀雄に対し七万九千九百二十八円およびこれに対する昭和三十五年六月十三日より支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。

被告等は各自原告山田しまえに対し二十九万八千三百八十円およびこれに対する昭和三十五年六月十三日より支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告等の負担とする。

この判決は第一、二項に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告等は各自原告山田秀雄に対し十四万九千四百六十円、同山田しまえに対し五十五万五千百五十九円およびこれ等に対する本件訴状副本が被告に送達された日の翌日より支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。訴訟費用は、被告等の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因を次のとおり述べた。

「昭和三十四年六月二十六日午後四時頃、枚方市中振国道第一号線路上において、被告会社雇傭の運転手である被告冨安英男がその運転中の被告会社の貨物自動車(岐一あ〇一四〇号)を、原告秀雄が運転し原告しまえを後乗させていたスクーターに接触させ、その衝撃により原告等を付近路上に転倒させ、よつて、原告秀雄に対し入院加療一カ月を要する脳しんとう、右側頭部挫傷、胸部打撲傷等の傷害を、原告しまえに対し入院加療一カ月を要する後頭部皮下血、口唇切創、右大腿部打撲傷、歯槽突起骨折、上下門歯欠損等の傷害をこうむらしめ、かつスクーターを破損せしめ、原告等に後記のとおりの損害を負わした。

右事故は、被告冨安が、被告会社の業務を執行中過失によつて発生せしめたものである。そのいきさつはこうである。

前記日時、原告秀雄は原告しまえを後に乗せてスクーターを運転して時速二十ないし二十五粁位の速度で前記国道を南進して前記接触地点付近に差しかかつたが、道路の左端に三輪貨物自動車が停車していたので、その右側を通過するため、ぜんじ道路の中央寄りに移動して進行した。

被告冨安は被告会社が営む運送業務を行うため雑貨類を積載した前記自動車を運転し時速約四十粁で原告等の後方から南進してきたのであるが、丁度、その時、原告等のスクーターの右側を通過追越そうとした。このように、疾走する自動車の運転者が先行車を追越そうとするときには、先行車の行動を注視し、先行車との間隔を充分にとつてその右側を通過し、もつて事故の発生を防止するべき注意義務がある。そうであるのに、被告冨安はその義務を怠り原告等のスクーターの進行状態を目撃しながら、まんぜん直進し原告等のスクーターのすぐ右側を通過せしめたため、その運転の貨物自動車の左後部フエンダーあたりを原告等のスクーターの右ハンドルに接触させるに至つたのである。

この事故によつて、原告等は次のような損害をこうむつた。

原告秀雄の損害

(一)  原告秀雄は前記負傷を治療するため、事故当日の昭和三十四年六月二十六日より同年七月二十五日まで関西医科大学香里病院に入院し、退院後も本復に至らないため、同病院および佐藤外科病院に通院して治療を受け、神徳温泉で電浴治療をも受けた。そして、その費用として、関西医科大学病院に対しては合計四万一千三百二十九円、佐藤病院に対しては合計七千七百三円、神徳温泉には千八円を支払い、なお、退院後の発熱時にしばしば氷を使用したがその代金は合計千円であつた。

(二)  原告秀雄は前記香里病院への通院交通費に合計千五百四十円、神徳温泉のそれに千八百九十円を要し、本件事故について枚方警察署から呼出を受けその出頭のための費用として二千四十円を支出した。

(三)  原告秀雄は本件事故によつて破損したスクーターを、訴外スイセイ商会と同鴨野電機工業所で修理してもらつたが、その修理費としてスイセイ商会に九千三百五十円、鴨野電気工業所に千円を支払つた。

(四)  原告秀雄は訴外天和鉄工所に雇われて日給七百円を給されていたが、本件事故による負傷のため、事故の翌日の昭和三十四年六月二十七日から同年十月五日まで欠勤しよつて同日付で解雇され、同年十一月十二日訴外内外土木建材社に雇われるまで収入の道を絶たれ、その百三十八日間のうち、就労日数百十八日間の日当七百円の割合による合計八万二千六百円相当の得べかりし利益を失つた。

(五)  原告秀雄の本件事故による精神的損害は少くとも十万円以上であると考える。

すなわち、原告秀雄は本件事故による負傷によつて数カ月間の療養生活を余儀なくされ、その間に職を失うことになつたばかりか、一応治療を要しないことになつたいまも負傷部分は冬期に痛み、頭部の頭痛はしばしば起り、たえがたい。

(一)  原告しまえの損害

原告しまえは前記負傷を治療するため事故当日の昭和三十四年六月二十六日より同年七月二十五日まで前記香里病院に入院し、同時に山添歯科医院において損傷歯の治療を受け、退院後も通院して治療を受けかつ神徳温泉で電浴治療を受けた。そして、その費用として、香里病院に三万一千四百七十円、山添歯科医院に三万三千八十円、神徳温泉に八百十五円を支払い、なお、診断書費用として香里病院に六百円、山添医院に三百円を支払つた。

(二)  原告しまえは香里病院への通院交道費に合計五百五十円、神徳温泉への通浴交通費に千五百三十円、枚方警察への出頭費用に六百円、を支出し、なお、入院中の附添人今井ハル江の通院交通費千四百三十円、同人附添期間中の食事代千九百五十円を支出した。

(三)  原告しまえは昭和二十六年よりずつと肩書地で飲食店を営んできたが本件事故によつてやむなく休業し、よつて次のとおりの損害をこおむつた。

(イ)  材料の損害

洗い米六升、九百円、巻のり七百枚一万二千円、下巻のり三百枚千五百円、かつおだし粉五、六貫目四千円、高野どうふ四百個二千二百円、その他千円、合計二万一千六百円

(ロ)  使用人に対する補償

原告しまえは従業員として今井ハル江、安田タカの両名を雇用していたが、月給は今井ハル江が七千円、安田タカは六千円であり、七月と八月の休業期間中は月給を支払いなお、営業の見込みが立たないので月給一カ月分を解雇手当として支給して八月限りで右両名を解雇した。その支払額は今井ハル江が合計二万一千円、安田タカは合計一万八千円であつた。

(ハ)  得べかりし営業利益の喪失

原告しまえは飲食店営業により昭和三十四年一月より同年五月までの間月平均五万九千十三円六十銭の利益をえていたが、本件事故による負傷によつて昭和三十四年六月二十七日より同年十月二十六日まで休業し、その間、前記平均利益一カ月五万九千十三円六十銭の割合で計算した二十三万六千五十四円四十銭、営業を再開した同年十月二十七日より昭和三十五年五月二十六日までの間休業中に失つた仕出得意先による月平均二万円の得べかりし利益の喪失合計十四万円の損害をこうむつた。

(四)  原告しまえの本件事故による精神的損害は少くとも十万円以上である。

原告しまえは外傷は一応治ゆしたが口唇歯槽等の傷害により日常生活に相当障害を残している。それに数カ月間療養生活を余儀なくされた精神的苦痛は最低十万円をもつて慰藉さるべきものと考える。

以上のとおり、本件事故によつてこうむつた原告等の損害は、原告秀雄が合計二十四万九千四百六十円、同しまえが合計六十万八千九百七十八円四十銭であるところ、昭和三十五年一月頃自動車損害賠償責任保険金を原告秀雄は十万円、同しまえは五万三千八百二十円受領したのでこれを控除し、原告秀雄は十四万九千四百六十円、同しまえは五十五万五千百五十九円四十銭およびこれ等に対する本件訴状副本が被告等に送達された日の翌日より支払ずみまで民事法定利率年五分の割合の遅延損害金を被告等に対し各自支払うことを求める。」

そして、被告等主張の抗弁事実を否認した。(証拠省略)

被告等訴訟代理人は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。

「原告等主張の事実のうち、被告会社が運輸業を営む会社であること、被告会社所有の貨物自動車(岐一あ〇一四〇号)と原告秀雄が運転し原告しまえが同乗していたスクーターがその主張の日時場所で接触しよつて原告等が負傷しかつ右スクーターが破損したことおよび右事故は被告会社雇用の運転手である被告冨安が被告会社の事業の執行中に起きたものであることは認めるが、原告等が右事故によつてこうむつた損害の程度は知らない、右接触事故発生について被告冨安に過失があるとの点は否認する。

本件事故は原告秀雄の一方的な過失によつて起きたものである。

原告主張の接触のいきさつは事実と相違する。真実はこうである。

国道第一号線の本件接触地点附近の車道の路幅は十四米あり、被告冨安の操縦する貨物自動車は中央ラインに添つて南進し、原告秀雄の運転するスクーターは更に左側を南進し接触点の後方数米の地点で平行したところ、原告秀雄は急にそのスクーターのハンドルを右に切り中央寄りに方向を転換したので、被告冨安も原告秀雄の変則的措置に応じ接触を廻避したが時すでに遅く充分な回転態勢が採れず、原告秀雄運転のスクターのハンドルの右側の部分が被告冨安運転の貨物自動車左後部フエンダーに接触し本件事故が起きたものである。

スクーターのような小型原動機付自転車を運転する者は道路の左端を進行せしめるべきことを、道路交通法上義務づけられているにかかわらず、原告秀雄はその義務に違反して中央ライン寄りにハンドルを切つたことが本件事故の唯一の原因であり、そのこと自体原告秀雄の不注意ないし操縦の拙劣によるものであつて同原告の過失である。

したがつて、仮に本件事故について被告冨安に過失があつたとすれば、被告等は過失相殺を主張する。」(証拠省略)

理由

昭和三十四年六月二十六日午後四時頃枚方市中振国道第一号線路上において被告会社雇用の運転手である被告冨安が運転していた被告会社所有の貨物自動車(岐一あ〇一四〇号)と原告秀雄が運転し原告しまえが後乗していたスクーターが接触したこと、この事故は被告冨安が被告会社の運送業務の執行中に発生したものであることおよびこの事故によつて原告等は負傷しかつ右スクーターが破損したことについては、当事者の間に争いがない。

よつて、まず、本件事故発生について被告冨安に過失があつたか否かを考えてみよう。

成立に争いのない甲第一ないし第三号証、乙第一号証の一ないし三、同第二ないし第五号証、証人漆館繁雄、同山崎新太郎の証言、原告山田秀雄本人尋問の結果および検証の結果を総合すると次の事実が認められる。

当日は晴天で、本件事故現場附近の道路の状態は、車道の幅員十四米、路面はコンクリートで舗装されており、平坦、一直線、両側に無舗装の二米幅の歩道があり、道端に人家はなく見透しは充分であり、中央線およびいわゆる高速車と低速車の区分線が白線で画がかれている。この附近は諸車の交通量は多く、特に自動車のそれが多い。現場の北方約五百米の道路端に速度制限道路標識、通行区分看板が立つている。それによると、制限速度は貨物自動車が時速四十粁、軽自動車は同三十粁で、乗用自動車は中央線寄りを貨物自動車は歩道寄りを通行するよう図示されている。

被告富安は貨物自動車による長距離運送に従事している者であつて、雑貨約七トンを積載した前記自動車を同乗の棚橋運転手と交代運転しつつ、前日の二十五日午後三時頃東京を大阪に向つて出発し、二十六日午後一時頃より自分が操縦し、時速約四十粁で高低速車道の区分線をまたいだ状態で進行し、前記接触地点に差しかかり、その手前約三百米の附近で進路前方約四十米に、車道左端より約一米右によつたあたりを時速三十粁位で同じ方向に進行する原告秀雄運転のスクターを認めこれを追い越そうとしたのであるが、その際、接触地点の左側に車道と歩道にまたがつて停車中の三輪貨物自動車を認めた。

原告秀雄のスクーターは直進していたが停車中の自動車の手前約三十米でじよじよに右に寄り低速車道中央あたりを進行した。

被告富安は原告秀雄のスクーターが幾分右寄りに進行を始めた頃丁度自車とスクーターが併進状態に入つたにかかわらず、ハンドルを右に切ることも減速もせずそのまま直進せしめたため、自車の左後部フエンダー辺りを原告秀雄運転のスクーターの右ハンドルに接触させた。その結果、原告秀雄と同しまえは路上に転倒して後記のような傷害をこうむり、スクーターは破損した。

右の事実によると、先行車を追い越そうとする被告富安運転手には、この場合、前方車道端に停車中の三輪貨物自動車がありそれを認めているのだから、先行スクーターが右自動車の附近に至ればその右側を通過するため従来の進路より右寄りに進行することを充分予測でき、したがつて、その附近で先行スクーターを追越すのであれば、これとの接触衝突等の事故の発生を避けるため、前方を注視し原告秀雄の行動を監視しつつ進行し、ハンドルを右に切つて自車も右寄りに進行するなどしてスクーターとの間隔を充分に保つなど、安全を確めた上でその挙に出るべき当然の注意義務があるわけであり、それにもかかわらず、被告富安はその義務を怠り、右の措置を採らないでまんぜん車を進行せしめたため、接触事故が発生するに至つたものであつて、本件事故は同被告の過失によつて発生したというべきである。

そうだとすると被告等は各自原告等に対し本件事故によつてこうむつた損害を賠償する責任がある。

次に、被告等主張の過失相殺の点について考えてみる。

被告等は、本件事故は原告秀雄が道路交通法上の義務に違反して中央ライン寄りにハンドルを切つたために発生したものでありそのこと自体同原告の不注意ないし操縦の拙劣によるものであつて同原告の過失であると主張するが、先に認定のとおり、原告秀雄は低速車道左端を進行していたものであり、じよじよにハンドルを右に切つたのは停車中の自動車の手前約三十米の辺りであり、その進路前方の道端に停つている車があるのだからそれは当然の措置であるというべく、ただ、その際後続車があるのだからその進路を著しく中央寄りに変更しないことを要するものであるところ、原告秀雄のスクーターの右側への進出は低速車道中央辺までであつたのだから、同原告がハンドルを右に切つたことを指して道路交通法上の義務違反と言うことはできず、またそれを同原告の不注意ないし操縦の拙劣による行為ということもできない。

それ故、被告等の過失相殺の抗弁は理由がない。

そこで、原告等のこうむつた損害を検討する。

原告秀雄の損害について。

(一)  成立に争いのない甲第四号証、同第六号証、同第八号証、原告本人尋問の結果および同原告の供述により真正に成立したものと認められる甲第十、十一証を総合すると、原告秀雄は本件事故によつて右側頭部挫傷、左前胸部右ひざ打撲傷の傷害を負い、事故当日の昭和三十四年六月二十六日より同年七月二十五日まで関西医科大学香里病院に入院し、退院後も同病院および佐藤外科病院に通院して治療を受け、かつ神徳温泉で電浴治療を受け関西医科大学病院に治療費三万六千九百七十八円を支払つたことおよびスクーターの破損部分の修理を訴外スイセイ商会、同鴨野電機工業所に委託し、修理費合計一万三百五十円を支払つたことが認められる。

なお、通院交通費および佐藤外科病院、神徳温泉に支払つた費用についての証拠は同原告の供述しかなく、その性質上、通院回数、金額等についての同原告の供述をそのまま信用することはできないから、結局その支出金額を確認できず、同原告が支出したという氷代、枚方警察署に出頭の費用なるものも、これを確認するに足る証拠はない。

(二)  原告秀雄本人尋問の結果および同原告の供述により真正に成立したものと認められる甲第十二、十三号証に弁論の全趣旨を参酌すると、原告秀雄は訴外天知鉄工所に雇われて日給七百円を給されていたものであるが本件事故による負傷のため事故の翌日の昭和三十四年年六月二十七日から同年十月五日まで欠勤し、よつて同日附で解雇されるに至り、同年十一月十二日になつて訴外内外土木建材社に就職できたが、その間無収入であつたことおよび原告秀維は従来一週六日間就労していたものであり、本件事故がなければ右欠勤に引続く失業期間百三十八日の内百十八日は当然就労できたものであり、就労すれば合計八万二千六百円の賃金をえられるものであることが認められこれ等の事実より、同原告は本件事故によつてうることのできた同額の賃金収入を喪失したことが認められる。

(三)  以上のように原告秀雄は本件事故によつて数カ月間の療養生活を余儀なくされ、その間に職を失つたばかりでなく、原告秀雄本人尋問の結果によれば、負傷部分の治療を要しなくなつた後においても頭に頭痛がして病院に通つたことのあることが認められることから推せば、原告秀雄がその治療中および予後相当の期間肉体的精神的に多大の苦痛を受けたことは当然であり、その苦痛の慰藉せらるべき金額は、本件全証拠調の結果によつて認められる諸般の事情を総合して考えると五万円が相当と認められる。

原告しまえの損害

(一)  成立に争いのない甲第七号証、同第九号証、原告しまえ本人尋問の結果および同原告の供述によつて真正に成立したものと認められる甲第五号証、同第十六号証を総合し、弁論の全趣旨を参酌すると、原告しまえは本件事故によつて、後頭部皮下血、口唇切創、右大腿部打撲傷、歯槽突起骨折、上門歯下門歯欠損等の傷害を負い、一カ月間関西医科大学香里病院に入院し同時に山添歯科病院において損傷歯の治療を受け、退院後は神徳温泉で電浴治療を受け、治療費および診断書の費用として香里病院に三万二千四百四十円、山添歯科医院に三万三千三百八十円を支払い、入院中の付添人今井ハルエに交通費および食費合計三千三百八十円を支払つたことが認められる。

同原告が支出したと主張する神徳温泉の治療費、交通費、香里病院への交通費および枚方警察への出頭費用なるものは、原告ましえ本人尋問の結果によつてはこれを認めるに足らずその他にこれを認めるべき証拠はない。

次に原告しまえ本人尋問の結果および同原告の供述により真正に成立したと認められる甲第十八号証、同第二十二号証によると、原告しまえは肩書住所で飲食店を営んでいるのであるが、本件事故によつて、翌日の営業のために準備していた洗い米六升ほか、仕入れていた巻のり、かつおだし粉、高野どうふ等の材料合計約二万円が使用できなかつたため休業期間中に商品価値を失い、右材料代同額の損失をこうむつたことおよび原告しまえは、右休業中営業再開のめどがつかないので飲食店営業のために雇用していた今井ハルエ、安田タカの両名を昭和三十四年八月限り解雇し解雇手当として給料一カ月分、今井ハルエに七千円、安田タカに六千円をそれぞれ支払つたことが認められる。この材料代の損害および雇人の解雇手当の支出は特別事情に基づく損害ではあるが、被告冨安において被害者が何かの職業を有していることそれが飲食店営業であるならば雇人のあることも営業のために材料等を仕入れまたは準備しているものであることも当然予見しうることであるから、被告等はこれが損害を賠償するべき義務があるというべきである。

なお、原告しまえは休業中も右雇人に給料を支払つたがこれ等も本件事故による損害だと主張するが、雇人に対する給料の支払は休業とは無関係であるからその主張自体失当である。

(二)  原告しまえ本人尋問の結果および同原告の供述により真正に成立したものと認められる甲第十五号証によると、原告しまえは昭和二十六年頃より飲食店を営み、本件事故当時は毎月平均五万円位の利益をえていたが、本件事故によつて昭和三十四年六月二十七日より同年十月二十六日までの間休業したため、その間営業を続けていたならばえられたであろう利益二十万円を喪失したことが認められる。

なお、同原告は休業中得意先を失つたことにより、営業再開後も約七カ月間月平均二万円のうべかりし利益を失つたと主張するのであるが、これを認めるべき資料は何もない。

(三)  先に認定したとおり、原告しまえは本件事故による傷害によつて数カ月間の療養と休業を余儀なくされたものであり、原告しまえ本人尋問の結果に弁論の全趣旨を考え合せると、外傷はそのうち治癒したがそれまでの間同原告は肉体的精神的に多大の苦痛を受けたことが認められる。そしてこれが慰藉料の額は、本件諸般の事情を総合すると原告秀雄と同じく五万円が相当と認められる。

そうすると、原告等が本件事故によつてこうむつた損害は、原告秀雄が合計十七万九千九百二十八円、同しまえが合計三十五万二千二百円であるところ、自動車損害賠償責任保険金を原告秀雄は十万円、同しまえは五万三千八百二十円を受取つていることは原告等の自陳するところであるからこれ等を控除したその残額、原告秀雄については七万九千九百二十八円同しまえについては二十九万八千三百八十円およびこれ等に対する訴状副本が被告等に送達された日の翌日であることの記録によつて明かな昭和三十五年六月十三日より支払ずみまで民法所定年五分の割合の遅延損害金を、被告等は各自支払う義務があるわけである。

よつて、原告等の請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九十二条、第九十三条を、仮執行の宣言については同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 麻植福雄)

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